He is "E1"
作者:小浦すてぃ
雲が月を隠しても、夜の街は光に溢れていた。この廃ビルの屋上とは対照的と言ってもいいだろう。向かいの大型ビルに設けられたスクリーンでは、“将王”が不明敵対生物を撃退したというニュースが流れている。この世界にはヒーローがいて、平和のために戦っている。しかしそれが彼の生活に何の影響を与えただろうか。実在していようがしていまいが、画面一枚隔ててしまえば彼には等しく他人事だ。
青年は屋上の中央まで下がると、長い手足をストレッチして伸ばし、やがて駆け始めた。しかしその足は背後の破裂音に勢いを失い、とっさに振り返った彼はとび色の目に異形の姿を映す。青い軟泥でできた、おおよそヒト型の不明敵性生物。今まで画面の向こうにしかいなかったソレを目の当たりにして、青年は声もなく尻餅をついた。
「ふんっ!」
そこへ突如、金の雨が降る。軟泥のみを貫いて、おぞましい悲鳴が夜空に響く。のたうち回る生物のもとに、木漏れ日の色に輝く木目のアーマーが印象的な戦士が降り立った。
「将王!?」
慌てて柵にすがり、青年は目の前の戦いをカメラに収める。襲い掛かる敵に将王は動じず、どっしりと構えて力強い拳の一撃を繰り出した。もともと手負いだったのか軟泥は身を守るようにうずくまる。
「これはすごいぞ……」
青年が息をついたその時、カメラの中の将王が手を振った。それは声に応えたものではない。しかし青年が判断する間もなく、うずくまった敵は勢いよく爆ぜた。破片が彼の頬をかすめ、たちまち切り傷となった。
「どうして逃げなかった? 死んでたかもしれないんだぞ」
将王はアーマーを夜闇に溶かしながら青年との距離を詰める。消えたフェイスアーマーの下、白髪交じりの初老の男が顔を強張らせていた。
「だってバえるし。それに俺、生きてても仕方ないっすから」
気おされながらも答える青年に、初老の男はあきれたように夜空を仰ぐ。
「時代を守っても、今を生きるやつがこれじゃあな……」
青年の薄い眉が僅かに動いた。
「放っといてくださいよ。俺はアンタみたいに強くないんだ」
「だからって飛び降りることはないだろ」
「じゃあ俺の事救って見せろよ! ヒーローなんだろ!?」
青年は声を荒げて掴みかかる。しかし男は厳格な表情のまま返した。
「甘えるな。自分で何とかするしかないんだ」
「アンタはいいさ! ヒーローだもんな! 強いもんな! 敵を倒して皆に応援されて、さぞ気持ちいいだろうさ! アンタに弱いもんの気持ちがわかってたまるかよ!」
叫ぶその顔は赤く、そのまま泣き崩れる彼に男は目を凝らしているようだった。
「何も知らないのはお互い様か。なら教えてやる。俺はもう将王じゃなくなった。今のが最後の戦いだ」
“は?”青年は小さく声を漏らし、男を見上げる。
「将王に慣れる回数には上限があってな。六十四回もあったそれが今日ゼロになったという訳さ。俺はもう、ただのおっさんだ」
再びの破裂音。軟泥の敵が降ってきたと青年が認識した時、初老の男は敵の攻撃から彼を庇い宙を舞っていた。
「おっさん!?」
「くっ……俺はもう将王じゃないが、お前にその気があるなら、これは救いの手と言えるかもしれないな。ってのは、ちっと恩着せがましいか。はは」
男はポケットからライターを取り出すと、青年の手に握らせた。
「いいか、これは“時代”だ。壊されることは時代の消失を意味する。負けてもいい。これだけは守りぬけ」
青年の手の中で、光を発したライターはスマートフォンへと形を変えた。
「俺が、将王?」
「いや、お前はお前だ。自分で決めろ」
「俺が、自分で――」
青年は立ち上がり、男を跨いで軟泥に対峙する。スマートフォンから流れる青白い光が彼の身体をなぞり、白い戦闘服を構築していく。胸のパネルには31/31と表示され、フェイスマスクのバイザーが青く点灯した。雲間から月明かりが差し、その姿を照らし出す。
「パワード、いや、エンハンスド・ワン! “E1”だ!」
軟泥の敵が無数の触腕で貫かんとするのを、E1は的確に避けて距離を詰める。いくつかの打撃は確実に効いたらしく、軟泥はもがきながら距離をとった。
「ライターを、いや、今はもう違うのか。そのスマホを使え!」
男の声にE1は戸惑いながらスマホを操作する。様々なアプリの中から銃のアイコンを選ぶと、スマートフォンがたちまち近未来的な銃に変形した。
E1の動きに危険なものを感じたのか、軟泥の敵が慌てた様子で襲い掛かる。しかしE
1が放った金色の光線に撃ち抜かれると、その全身は即座に蒸発した。
「き、消えた? 倒したのか?」
E1のパネル表示が30/31に変わり、アーマーが風に溶ける。青年のもとへ駆け寄った男はその肩を叩きながら、彼に初めて笑みを見せた。
「やったじゃないか。さ、行くぞ」
「行くって、どこへ?」
「俺たちの基地さ。令和の時代をお前に託しちまったんだ。できる限りのサポートはするさ。それに、勝手に動かれてSNSで炎上なんてことになったら目も当てられんしな」