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一人きりのレジスタンス

作者名:霜月アキラ

 私は、ひねくれ者である。幼少の頃より、青と言われれば赤と答え、右と言われれば左へ進んでいた私は、成長と共に他者と足並みを揃える技術は得たものの、成人を大きく超えたこの歳になってもなお、その本質は変わってはいなかった。

来たる平成三十一年四月三十日、それは平成最期の日。前代未聞の生前退位により切り替わる元号に対し、日本中が湧いていた。ひねくれ者の私は、当然この日をひねくれて過ごそうと考えていた。世間が、時代が変わる事に湧き、期待しているのであれば、私はあえて静かに過ごそう。時代が変わったとしても何も変わらないのだと達観した風を装って、普段読まない流行の書籍を手に取りその荒探しでもして過ごす。そんなひねくれた一日を計画していた。

しかし、その当日の早朝、私は驚くニュースを目にしてしまった。それは社会人の九割程度が、時代が変わっても何も変わらない、と考えているという調査結果であった。私は自身の好意がひねくれていなかったという事実に驚愕を禁じ得ないと同時に、強い恥じらいを覚えた。時代の節目で変化する事を望んでいたのは、社会ではなく私自身であったのだ。

だが、私も伊達に長年ひねくれて生きてきた訳ではない。結局のところ、ひねくれる目的など、他者とは違う自身という状況に自己満足を得るために過ぎないのだ。

社会が変化など起きないと考えているのであれば、私は来る令和に対して大いに期待を描こうではないか。冷めきった社会では描くことが出来ない夢物語を思い描く事こそが、令和を迎えるにあたり、私の出来る最高のひねくれではないだろうか。

早速私は片面印刷の書類をひっくり返し、傍に転がっていたペンで夢を描き始めた。

絵で、文字で、思いついた夢を片っ端から書き連ねていった。恋人が欲しいだとか、給料が大幅に上がるだとかの人並みの欲望から、世界平和などの世界規模の願い、果てには突然異能の力に目覚めるだとか新技術の開発で空飛ぶ車が居なくなるなんていう非現実的な物語の中のような話まで、紙がいっぱいになれば別の紙を取り出し、ただひたすらに書き連ねていった。

夢を描く私の心は、さながら現代社会に対する抵抗軍だ。私は今、立ち上がったのだ。一般市民が出来ぬ、現実という圧政に反逆する為に。夢を考え、まだ見ぬ世界を空想する、そんなことが出来るのが私をおいて他にいるか、居るのならば声を上げよ。共にこの陰鬱な曇天の空を晴らす為の抵抗をしようではないか。

次第に私の呼吸は荒くなり、血走った眼は、まだ夢のない世界をひたすらに凝視して、そこに夢を与えるべく、ただひたすらに手を動かし続けていた。

ふと気づけばとうに日は沈み、手元を照らすのは側に置いたスタンドライトの明かりのみになっていた。時計を見て驚いたが、私はどうやらこの行為に一日のほとんどを費やしていたらしい。平成の残り時間はあとわずかであった。

時計の針が零時を示せば、私のつまらぬ虚栄心を満たすためのひねくれは、あっさりと終わりを迎えてしまうだろう。だが、まだ足りない。まだ私は満たされていない。令和にならねば、私はいつまでもひねくれていられるのに、私の抵抗は未だ留まるところを知らないのに。

そう思ったその時、私は、何かに弾かれるように唐突に時計の電池を抜いた。それから数秒と経たないうちに、どこかで花火の鳴る音が聞こえた。

冷たくなった時計は、午前零時を指すほんの数秒前で止まっていた。

それを確認した私は、祝杯を挙げるように、グラスに注いだウォッカを一息に煽った。息が出来なくなるほどの熱い塊が喉を落ちていく感覚は、得意ではないが今においては悪くない。むしろ、昂った私の心を静めるいい気付けになっただろう。

得も言われぬ達成感を胸に抱きながら、私はベッドに倒れ込んだ。

あぁ、私はこの世界でただ一人の人間なのだ。町を歩く人々とも、テレビで令和へ至った事を喜ぶキャスター達とも、私は違う世界を生きている。あの時計が動かぬ限り、私はただ一人、令和ではなく、令和を待ち望む平成三十一年の世界に生きている事が出来るのだ。これほどまでに前向きにひねくれた行為が他にあろうか。

そう自認し、思わず引き笑いが零れるが、その笑いの意味を知る者もまた、私しか居ないと考えると更に笑いがこみ上げてきた。

そうこうしているうちに、胸に流し込んだ熱に端を発した心地よい酩酊感は、いつの間にか全身を包み込んでいた。素直にそれに身を委ねると、病的なまでの多幸感に満たされながら、私の意識はすぐさま黒の海に沈んだ。

翌朝、私の気分は非常に晴れやかなものであった。私自身が認めた私一人だけの差異、そんな独裁的な特別感による高揚は、一晩程度では決してさめやまぬものであった。

そんな、自身の中に秘めた唯一たる特別感に内心でほくそ笑みつつ、私は空を大きく見上げた。

平成三十一年五月一日の空は、私を歓迎するように青く澄んでいた。

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