音の時代歴
作者名:RayFa
目が覚めたら、見知らぬ部屋に居た。
ああ、そういう物語はいくらでも見てきたが、フィクションだと思い込んでいた。
乾いた笑いしか出ないぐらいには、脳が現実を認識したくないらしい。
何よりも、何故ここにいるのか、自分が何者なのか、今が何時なのか、全く記憶にない。
記憶喪失、というやつなのだろうか。
脳裏に死んだ後の世界、なんて浮かんだが、それ以上は考えないようにした。
「とにかく・・・何かないか、歩いてみるか」
ふと、声に出たが返ってくる声も無く、むなしく自分の声が響くだけだった。
しばらく歩いてみたが、何も見つからず、ただただ時間が過ぎていった。
時間が過ぎているのかもさえ、分からない。
時計も何もないのだ。
まるで、時間という概念すらないような錯覚さえ感じる。
分かった事は、どこまで行っても、ただただ真っ白な空間が広がっているという事。
幸いな事に、お腹は減らないらしい。
しかし、ここは本当にどこなのだろうか。
これが夢なのだとしたら早く覚めてほしい。
何かのいたずらなのだとしたら、さっさと種明かしをしてほしいものだ。
「あれ・・・なんだ、これ」
気が付いたら、一冊の本があった。
表紙にも裏表紙にも、背表紙にも何も書かれていない本。
手持ち無沙汰もあってか、何のためらいもなく開いたその本は全てが白紙の本というにはあまりにも名負けのした代物だった。
ノートの代わりにでもしろ、ということなんだろうか。
それにしては、筆も何もない。
諦めて、その本を閉じた時だった。
「――――」
それは音の奔流だった。
聞き取れる方がどうかしているというレベルにごちゃ混ぜになった音。
それは人の声だったり、車の音だったり、楽器の音だったりと、様々だった。
軽い眩暈がした。
最初、それが音であることすら理解出来なかった。
次に、音であることを理解し、音が過ぎ去ってから、ようやくそれが今まで当たり前の様に聞いてきた音であることを理解した。
「この本は【読む】物ではない、ってことか?」
音を閉じ込めた物なのだとしたら、それは本であったとしても読む物ではないのは事実だ。
ただ、形式として本という形を型取りっているに過ぎない。
だとしたら、これは一体何だというのだろうか。
本という形を取りながら、その実はレコーダーの様なものだ。
もう一度開いてみる。
ページを捲り、しばらく待ってみる。
『明日は雨みたいだねぇ』
自分以外の声をここで聞いたのはそれが初めてだった。
若い女の声。
他にも若い男女の声が聞こえてくる。
学校なのだろうか・・・?
もう一ページ捲ってみる。
すると、聞き慣れないエンジンの駆動音。
『いつになれば、この戦争は終わるんだろうか』
疲れ切った男の声。
一ページが違うだけで、まるで時間が違うかのように、別の歴史から再生されていく。
しばらく、その音たちを堪能していた。
その音たちを聞いている間だけは、自分がこの空間に居る事を忘れ、知らない世界に思いを馳せる事が出来たからだ。
しばらくそうして、浸って居た。
だけど、いつまでもそうしている場合じゃなかった。
本を閉じて、改めて表紙を見た。
そこには何も書いてなくて、少し悲しさを覚えた。
だから、一つだけやりたい事が出来た。
ここに来てから、記憶も自分が誰なのかも分からないけど、それでも一つだけ。
この本の名前を付けたいんだ。
記録…記憶・・・何か違うんだ。
上手く言い表せない、けれど、何かこの本に見合う言葉あるはずなんだ。
それを見つけよう。
そう思い、大事に本を抱えた。
しばらくは、ここから出る事も、自分の事も考える必要はなさそうだ。