虚数の庭
作者:うさ耳帽子のるいかちゃん
7月3日
20時0分
「先月1日に発生した農林水産省の元事務次官が自宅で長男を刺殺した事件で、新たな――
まったく……馬鹿な奴め。引きこもりニートは親と仲良くしてこそ一流だというのに。
僕ならそんな過ちは犯さない。僕は絶対に生き延びてやる。
それにしても今年は引きニート関連の事件が続いている気がする。令和になって、平成の負の遺産の返済が迫られているのかもしれない。
20時5分
家から黒い車が何台か出ていった。
高級官僚であるお父さんには来客が多い。でも最近なんか変だ。
最近のお父さんはずっとドリーなんとかがどうのこうのって話をヒソヒソと電話で誰かと喋っている。ドリーム? 夢かな?
難しいことを考えるのはやめにして、見たい映画のことでも考えよう。
今年一番見たいのはポケモンの『ミュウツーの逆襲』かな。アニメ映画と言えばピクサーではトイストーリーの次の作品が作られているらしい。前作は面白かったけど次はどうだろう? そこまで期待しない方が良いのかな。
あぁ! 見たい映画がいっぱいあるなぁ。またお母さんからお小遣いを貰わなきゃ! 口答えしてきたら殴れば良いんだから簡単だね。
音楽プレーヤーから有名なクラシック音楽が聴こえてきた。パッヘルベルのカノン。エヴァンゲリオンの映画でも使われている曲だ。
20時10分
明々後日、新劇場版最終作であるシン・ヱヴァンゲリヲンの冒頭シーンが公開される。『序』や『破』をリアルタイムで見ていた人は、4作目の公開が2020年であることを予想出来ていただろうか。
世間の反応を調べようとツイッターを開くと真っ先に視界に飛び込んできたのはタピオカミルクティーを胸の上に置いている女性の自撮り画像だった。
20時15分
何故若い女性が自ら胸の谷間をアピールしたりしているのだろうか。しかもそれが笑いのネタとして消費されている。この世界は終わりだ。どっちみち終わるんだけど。
はぁ。少しため息を付いてリモコンを操作する。金曜の夜だからミュージックステーションがやっている時間だ。テレビ画面にはⅤ6が映っていた。
20時20分
まさかSMAPが解散しTOKIOが問題起こして活動休止し、一番古くから活動しているのがV6になるとは思わなかった。
そういえば先月ジャニーさんが救急搬送されたというニュースがあったが、大丈夫かな? ジャニーズもまた平成という時代を象徴する存在だったと今では思う。
さて、何をしようかな。普段だったらドラクエⅩをやるところだけど、今日は気分が乗らなかった。
20時25分
僕は断然ドラクエ派だ。前はFFもやってたんだけど、最近のFFはファンタジーさが足りないから好きじゃない。僕はクリスタルと魔法の世界が好きなのであってホストクラブにいそうな男が女と仲良くやってるところを見たいわけじゃない。
『君はもうクラウドになったかい?』
なれるわけないじゃん。
世界は救われない。
僕は一生引きこもって遊び続けるんだ!
20時30分
やることもないし本棚から何の気なしに書類を取り出した。
クローン技術についての書類だった。
1997年に世界初の哺乳類体細胞クローンが誕生して以来、世界中の権力者は我先にとクローン技術を欲しがった。もちろん倫理的な問題が数多くあるため、各国政府は表向きには取り扱うことは無かった。表向きには。
僕が熱心に書類を読んでいるとパタパタと階段を降りてくる足音が聞こえた。お父さんの足音だ。
20時35分
今日も「明日こそは学校に行ってくれ」って言うのかな。お父さんは自分のことしか考えていない。高級官僚の息子が学校にも行かずに遊び回っているのは世間体が悪いんだろうけど、そんなこと僕は知らない。
それにしてもまだ懲りて無いのだろうか。
まだ僕が引きこもりを辞めると信じているのだろうか。
この前学校に行けって言われた時には、包丁を出して、「お前なんかいつでも殺せるんだからな」って脅してやったのに。
まぁ、どちらにせよみんな死んじゃうんだけど。
コンコン。ノックの音だ。
「入っていいか」お父さんの声。
「うん、良いよ」僕は扉を開けた。
ドアを開けるとそこには包丁を持ったお父さんが立っていた。
えっ? 何で? 僕を殺そうとしてる?
大蔵省の官僚が? そんなまさか――。
20時40分
一つ前の僕……1998年に死んだ僕に関する書類を閉じた。
まったく……馬鹿な奴め。引きこもりニートは親と仲良くしてこそ一流だというのに。
1997年に羊のクローンであるドリーを産み出してから世界各国がヒトのクローンを秘密裏に作り始めた。僕のお父さんも例外ではない。ノストラダムスの大予言を信じ込み、学校に行くのを諦めた息子を悲観し殺し、今の僕を作った。
そういえば1998年の僕の記録を読んでいると、現在との共通点が数多く見られる。
もしかしたら2019年7月3日の僕の話と1998年7月3日の僕の話を5分ごとに交互に描写しても、1つの時間軸の話だと錯覚する人がいるかもしれない。