祖母の手紙
作者:木風公子
「ちーちゃん」
祖母が最後に発したのは私の名だったらしい。涙を浮かべた母がそう言っていた。残念ながら私は死に目に会う事が出来なかった。
おばあちゃん子で、田舎に行けばいつも祖母の後ろにくっついていた。だが、それも二十年も前の話だ。一体祖母は何を思い、私の名を呼んだのだろうか。
九十も過ぎた頃、認知症も患っていたので自身でもわからず出た言葉なのかもしれない。
それでもまぁ、そんな祖母のために何かしたいと思った私は遺品整理を母に申し出た。
まるでサザエさん宅のような、昔ながら平屋に祖母は一人で住んでいた。
祖父が亡くなった時に同居を拒んだのは祖母だった。
「嫌だよ、面倒くさい」
あっけらかんとそう言いのけた姿に、我が祖母ながら感心した。
到底母一人では片づけられない程広い家だったが物は少なかった。
祖母は、余り溜めこむ人では無かった。
初めて見ると片づけもサクサクと進んだ。
整理整頓された部屋というのは片づけるのも楽だ。
「お母さん、コレ中身全部出しちゃうね」
和室から居間に居る母へ伝える。。
桐箪笥を開くと、キッチリと畳まれた衣類が隙間無く入っていた。規律正しい祖母らしいな、とマスクの下で笑みがこぼれた。
三段目の引き出しにある着物を取り出していると、底の方に一通手紙が入っている事に気付いた。
達筆な筆文字で「洋一様」と書かれている。その名は祖父とは違う。
何やら胡乱な雰囲気を感じ、一瞬の迷いの末、私は手紙を開いた。
それは恋文だった。
色々と書かれていたが、読み解くと「あなたを愛しております。この気持ちが枯れる事はない。私はあなたを毎日偲びます」と書かれいた。文末には差出人に祖母の名があった。
つまり、これは祖母が書いたものの結局渡す事の出来なかった文という事だ。
どうしてそんなものを後生大事にしまっていたのだろうか。果たせなかった思いを、心の底の底に隠していたのか。
「あら、手紙?」
突然背後で母の声がした。
「ちょっと急に後ろに立たないでよ」
私の非難を無視して、手紙へと視線を移す。
「え、これお婆ちゃんのラブレターじゃない? ちょっと見せて見せて」
母が引ったくるように手紙を奪い、フンフンと読み始めた。
「まーお婆ちゃんこんなのずっと隠してたの? 可愛い所あるわねー」
「この洋一って人誰?」
「分かんないわよ。でもお婆ちゃんお見合い結婚だったし、曾お爺ちゃんとっても厳格な人だったから、どこの誰とも知らない人とは結婚出来なかったのかもね」
一瞬、祖母が泣く泣く別れる姿が思い浮かんだが、私の知る限り祖父とはとても仲良くしていた。
この恋が実らなくとも、そんな事で祖母の一生は不幸になったりしなかったのだろう。
母が手紙読み直しながらぼやいた。
「まーこの時代はねー。そういうの仕方なかったのかもねー」
時代、という言葉にある会話を思い出した。
それは祖母が古いアルバムを取り出し、母の子供時代を見せてくれた時の事だ。オカッパ頭でランドセルを背負う母の写真に何とも不思議な思いをした。
私はまだ小学生の低学年で、母に子供の頃があったというのが信じられなかった。
「おかあさんも昔は子供だったの?」
その疑問に祖母はにこにこしながら答えた。
「そうだよ。お母さんもお婆ちゃんも、子供の時代があったんだよ」
アルバムの最後の方には、祖母の子供の時の写真もあった。私はどうにも納得出来なかった。写真の祖母が到底今の姿と違うからだ。
「お婆ちゃん、お婆ちゃんの子供の時代はいつ終わったの?」
祖母は考えた後、答えてくれた。
「ちーちゃん、おばあちゃんはね、時代ってのは終わる物じゃなくて、託す物だと思ってるの。だから、お婆ちゃんの子供の時代は、今、ちーちゃんに託してるんだよ」
意味が分からなかった私は眉をひそめて聞いた。
「たくす、ってなに?」
祖母は歯を見せて笑っていた。
あの時、祖母は一体私に何を託したのだろうか。
言葉の意味すら分からなかった物が、今ならぼんやりと分かる気がした。
もしや、あの時の祖母の年齢まで生きれば、このぼんやりとした物もハッキリと分かったりするのだろうか。
それは何だか、少しばかり面白い気がした。
「お腹すいたね。そろそろお昼にしようか」
母が膝を叩いて立ち上がる。台所へと向かう後ろ姿を見ていると、背後で「カタン」という音がした。
振り返ると遺影の中で微笑む祖母の姿があった。