天田美琴の家系に関する供述
作者:利賀セイク
「ねえ坂本、見えないものって信じる?」
「見えないものって、幽霊とか?」
「幽霊もそうだけど、奇跡とか」
「奇跡はある」
「見えないのにどうして分かるの?」
「だってスポーツには奇跡的な大逆転とかあるだろ」
「奇跡的ってことは、その原型となる本当の奇跡がある前提じゃない?」
あなた方には申し訳ないが、私を裁く法などない。人間では為し得ない殺し方をした私に人間の法を適用する道理がどこにあるだろう。もし私たちについて知りたいというのであれば、特に断ることはしないが。
私の実の父親は私が物心つく前に亡くなっている。母は私が高校生のときに再婚をしたが、私は新しい父親に馴染めず、帰る時間を少しでも遅くするために近くの公民館で時間を潰していた。公民館にはいつも同級生の天田美琴がいたから、閉館まで二人で世間話をするのが日課になっていた。美琴が振る話は私には難しく、よく理解できないことも多かった。だがそういう話をするとき美琴は不思議な笑顔を向けてくる。その目は私の心の奥底を見透かしているようで、それでいて美しかった。そんな顔を見ていたいから、私は分からないなりに美琴の話に付き合おうと思ったのだ。
その後美琴は前触れなく転校してしまった。そしてその五年後、つまり今から一週間前に同窓会で再会したのだ。
「久しぶりだね、坂本」
「おう。急に転校したからそれなりにショックだったんだけどな」
「ごめんごめん。家の事情で急遽転校したんだよ」
「家の事情?」
「実はひいおばあちゃんが宗教の教祖で、そ
の跡取りが女って決まりなんだよね。先代だった又従姉が亡くなったから、ひいおばあちゃんの子孫で唯一の女だった私にお鉢が回ってきたってわけ」
「宗教って、大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ、信者じゃないし」
美琴がビールに口をつける。すでに顔は真っ赤になっていた。
「ねえ、今夜うちに来ない?ここからそう遠くないし、面白いもの見せたいからさ」
もともと新興宗教やらスピリチュアルやらに興味があったから、そういう家には是非とも行きたかった。そうでなくとも久しぶりに再会した友人とゆっくり話せるなら、断る理由は見当たらない。
「ここが美琴の家?」
「仕事場兼自宅かな。ここでお悩み相談受けたり、儀式したり」
連れて来られたのは、キリスト教風の教会。壁が黒く塗られているが、形は教会のままであり、名状し難い雰囲気を醸し出している。建物の前に鎮座する山羊の石像、入口の大きな扉に描かれた上下反転している五芒星、視界に入るもの全てが冒涜を目的としているように見えた。もし転校の日からずっと美琴がここのトップなのだとすると、なぜ美琴はこのたちの悪い空間を変えようと思わなかったのか。
「趣味が悪いと思った?」
「まあ、少し」
「私も最初はそう思ったけど、そうじゃないんだよ。むしろこれだけじゃ足りないくらい」
「それはどういう…?」
「言ったでしょ、見せたいものがあるって」
そう言って美琴はその大きな扉を開けたが、真っ暗で何も見えない。いや、暗闇が部屋を支配しているのだ。美琴が部屋の灯りをつけたがそれでもぼんやりと聖堂が見えるだけで、暗闇は部屋を去ろうとはしない。それとも悪
魔を信仰すると言わんばかりの光景のせいで、ただ私が幻想しているだけなのか。
「座って話そう、五年前みたいに」
美琴に続いて聖堂に入ると、全身が何かに触れた感覚がした。この超常的な暗闇が私に触れているかのように。
「覚えてるかな、見えないものを信じるかって話。実は、あのとき私は坂本が持ってる『見えないもの』に見とれてたんだよね」
美琴の言っていることが分からない。もしかしたら宗教の教義に洗脳されているのかもしれないと思った。もしそうならどれだけ良かったか。
「先代は私に『見えないもの』をたくさん教えてくれた。本当のお姉ちゃんみたいだった。体のほとんどが『見えないもの』でできていることを除けば、だけど。ひいおばあちゃんも、その後の跡継ぎも、そして私も、みんな神様から子供を授かったの。神様は『見えないもの』だから、父親似で生まれてきた子供は体の一部が見えない。つまり、見えない部分を持った子供こそ神聖で、跡取りに相応しいんだよ」
「やめろ、もうやめてくれ」
「信じられないかもしれないけど、目を背けちゃだめだよ。坂本にも見えるでしょ、この部屋の『見えないもの』。これ全部私の子供なんだよ。一番上の子が五歳、転校したその日に授かったんだ。」
五年前に見たあの美しい目は、今も輝いていた。だが、その目には初めから暗闇しか映っていなかった。
「私は五年前に、坂本の持ってる『見えないもの』に一目惚れしたんだ。きっと、坂本も私たちと同じ…」
もはや聞いていられない。私は咄嗟に両手で耳を塞いだ。次の瞬間、美琴が宙に浮いた。暗闇に溺れているように、必死にもがいていた。その光景は、美琴の首に巻き付いた暗闇が私から伸びているように見えた。