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不可避たる撰択

作者名:シロガネマヨイ

「"生まれる時代を間違った"と思ったことはあります?」

 一通り仕事の話が終わった後、向かいに締まり無く座っている男は、いつものように唇の端から意地悪い笑みを滲ませ、これまた意地悪い問いを投げかけてくる。

「やはり常々僕はあなたが、このある種レッテルの様な状態に、よくよく当て嵌まると感じているのです。あなた自身はどう思っていますか」

「君は、頻繁に同じ類の捻くれた質問をしますね」

「このような問いに対して、あなたから要領を得た回答を貰った試しが無いもので、つい」

 部屋は薄暗く、それでいて秋の終わりを告げる様な肌寒さが沈んでいる。室内灯が二人の沈黙を繋ぐように微かな点滅を繰り返す。その明かりに照らされる男の表情からは、真意を読み取るのは甚だ困難である。男は、私よりも若齢であることは確かなのだが、疎らに白線を描き入れた様な若白髪交じりの頭と、不可視の事象でも見据えてやろうかとぐりぐり動き回る病的な双眸によって、若々しい印象は微塵も見受けられなかった。私が黙っていると、男はおもむろに身を乗り出しながら言葉を発した。

「こんな世相に、あなたは収まりきらんでしょう」

「そのような事に関しては、よくわかりませんね」

無意識の内に机の上を指でトントンと軽く叩きながら、私は辟易として答える。

 

「こんな運命の選択はあんまりでしょう。そうは思いませんか」

今日はいつになく質問の雨に晒されている。冷えた秋雨の方が、晒されても風邪を引くだけでまだまだマシに思えてくる。気怠げに背もたれへと体重を預け、天井を軽く見上げる。

「そもそも、その様な、自分で選ぶような事の出来ない事象を選択と言えるのですか。そんな物に”間違った”などという、正誤の概念は発生し得ないと思いますが」

向かい合っている男に話しているようで、どこか独り言のように行き場のない奇妙な浮遊感を含んだ言葉が自分の口から発せられた。

「ふむ……」

「不満ですか?」

「いえ、これまでの回答からすれば随分と考察のし甲斐のあるお考えだと思いますよ」

「随分と皮肉めいた言い方だ」

「そんな事は。僕はあなたを尊敬しております」

男はわざとらしく背を正しながら、未だ定まらぬ視線を目一杯私に向けて言った。

「あなたは稀代の悪党ですから」

 

 沈黙が数秒流れた後、扉の開く音が室内に響く。後ろから、色の無い冷めた声で呼びかけられる。

「時間だ」

「えぇ」

視線を向けることもなく、私は立ち上がった。

「弁護士さんもよろしいですね」

その、向かいに座っている男、”私の弁護士”は座り方とは対照的な動きで素早く立ち上がった。

「えぇ、えぇ、それでは法廷で」

先程よりも上ずった声に加えて、この上なく楽しみだという顔でガラス越しに笑みを振りまいてくる。

「君はやはり物好きです」

男の表情が意地悪く引きつる。本人からしたら微笑んでいるのかもしれないが、どうにも、この表情を笑顔とは形容し難い。

「僕はね、”貴女の様な女性”が再び世に解き放たれて、どうなっていくのか、という事を見たいだけです。それが依頼人に対する僕の願いであり、生き方であり、欲望なんですよ。僕が"これ"を身につけている意義はそれだけです」

先程まで彼を覆っていた気怠さに隠れていたが、瞳の奥には疑いようも無く、ある種の狂気と信念の炎がちらついているように見えた。その仄暗い輝きと、襟元にあるバッジの鈍い光沢が重なる。勝算はありますから、と小さく男は付け加える。私は振り返り、扉へと歩を進めた。

「本当に変わった人ですよ」

「貴女も」

男の言葉を背に受ける。ぎいぎいと耳障りな音をたてて扉がゆっくりと閉まった。

 

 私は、軽く溜息をつき、些か呆れながら面会室を後にした。廊下は、ここに入室した時間よりも少しばかり冷え込んでいる。生まれた時代を間違えたのは君ではないのか、君もこの時代における異端者ではないのか、という問いが口から飛び出そうになったが、すっと飲み込んだ。あの男も結局はこの時代に生まれ落ちた故、なのだろう。あの男がどのような人生を歩み、どのような選択をしてきたのかは知る由もないが、どうしようもなく選択を間違えてきた人間は確かに存在するのだ。自嘲的な笑いがこぼれる。能動的な感情が、幾分かでも自身の表層に露出したのは随分と久しいことだった。ああ、彼の言う通りかもしれない。

「私も、大層楽しみですよ」

息が辛うじて漏れる様な微かな声で呟く。誰にも聞き咎められる事がないような独り言は、廊下の影に滲んで、溶けた。露出した感情は誰にも悟られず、深層に再び沈んでいく。男と意見を交わした正誤に関しては、さほど頓着は無い。しかし、一つだけ、どうしようもなく狂信的に自身の魂奥深くから根付いた確信が首を擡げ、思考を浸食し、這いずり回る。

「ここは私の時代だ」

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