平城山のポンとペン
作者:錫森ラン丸(舞台屋カルル)
ヒグラシの斜に構えたさざめき声にも飽きてきた頃。
横たわりかかった陽光を古びた社の陰で隠しながら、ポンとペンは遑を押し付け合っていた。
ふさふさの尾でペンの耳を擽っていたポンだったが、ひとしきり彼の身体を遊んでも反応が無い事を悟ると、彼と同じ様に社の壁にだらしなくもたれかかる。
「なあ、今いちばんイカしている猿楽師って、誰だと思う?」
壁にもたれたまま、いちばんと言っても、たぁくさんいるからなぁ、とだけ漏らすペン。
ポンは東の雲の形を麦餅に見立てた遊びを早くも終えていた。
「しぃかし、こんな時代にもなるもんだなぁ。」
「こんな時代ってのは、あれかい?昨日の春日大社の猿楽で、キヨさんがやったやつかい?」
「まぁさかよ、おれたちと同じ貍のキヨさんがよ。今や幕府お抱えの前衛猿楽師になるなんてぇな。」
四本の足を器用に操作し昨日見た舞を真似てみせる。
「夫には死して別れ~~~只一人ある~忘形見のみどり子に~生きて~離れて~」
「わははは、色っぺぇ、色っぺぇ。」
「貍が人間に化けて、それが更に女だの鬼だのを演じて、もうなにがなんだか分かんね。」
「それが良ぃてよ、それがおもしれぇってぇよ、そういう時代なんだろぉて。」
佐保川を見下ろす平城山の中腹、人も殆ど通らない山道に、生を持て余す貍の暇潰し場はあった。
親を亡くした二匹の貍を育てた几帳面な神主の跡を継ぎ、敷地内の雑草抜きと落葉集めがポンとペンの日課となっている。慣れたもので、今では妖術で午前中に仕事が終わってしまうのだ。自堕落を求めたケモノの、努力の賜物である。
二十年生きた猿楽好きな貍の妖力でも、この高地から都の様子を伺い見ることは難しい様で、都に移り住む事も話には出たが、ふたりはふたりを育てたこの場を長く離れる事はしなかった。
そして今日また1つ、このケモノは自堕落の為の偉業を成し遂げてみせた。
「おおおっ!映ってるぜ!?」
「やっぱしなぁ。山道の端に中継器として積み石の結界を張っただけでぇよ、遠隔映しの完成よぉ。」
「おいらの言った通りだったろ?」
「はぁ、おれが最初に言ったんだろぉ?」
「そんなことよりよ、早く見ようぜ。今日はあれだろ、キヨさんの息子さんがアレやるんだろ?」
貍たちが楽しみにしているのは今急上昇の美男若手猿楽師なわけだが、どういうわけか今日は都の社まで足を運ばずにこの古びた社に像を映し出している。
「焦ったってしゃあねぇよ、ゲン坊が出るまでまぁだ一刻半もあらぁ。酒とツマミでも準備してゆぅっくりと、なぁ。」
「よきかなペンよ!幽玄、幽玄。」
「幽玄だろぉ?」
幽玄とはこの貍たちの流行り言葉で、趣深い中でも更に優雅で優美なことを指して使う。
どうやら今日の彼らは下界の民に混じってではなく、帝や天の神のように高みから酒を飲みつつその様子を眺めようとしているのである。
東の空の薄い月を背に、ふたりは早くも晩酌を始めた。
「なあよ、幽玄と言や、キヨさんとこのゲン坊は、上流貴族の教養だのを教えられてるって話。」
「そらぁまぁあれだけお上に気に入られてらぁ、なぁ。」
「なんかよ、これから先の猿楽がよ、みいんなああ言うお高いもんになっていきやしねえかって、ちょいとだけ思ってな。」
「まぁ、そんな事もねぇんじゃねぇかなぁ。」
「そうかい?」
「多分よぉ、猿楽や田楽だけじゃぁなくなるんだよきぃっと。芸事も、その場所も其れをやろぉとする奴も、段々と広がっていくんだろなぁ。」
「例えばあれかい、ええと、例えば。例えば。」
「例えばぁよ、おれらがガキの頃にぃよ、猿楽がこぉんなでぇぇっけぇ舞台でやるもんになるって想像してたかぁ?」
「いいんや。したらどんなに面白えかっては思ってたけんども。」
「其れとおんなしぃよ。こうなったらいいなぁて思ってる事てぇのは、きっとそうなる。」
「おいら達が家で酒呑みながら都の猿楽観れる様になったみてえにかい!」
「そぉだぁ。」
「じゃあよ、じゃあよ、おいらは、もっといっぺぇ歌って、いっぺぇ踊って、楽しいやつがみてえな!しかもそれがまたデッケェ舞台で、沢山の若え女達でやってんの!」
「沢山の若ぇ女達が歌って踊んのかぁ。そらぁすげぇなぁ!」
「あとはな、年に一度大和中の芸事師が集まってな、紅白で別れてな、それぞれが持ってる芸事で戦うんだ、どっちの方が面白ぇかって!」
「其れをおれらぁの中継器で、大和中のどぉこからでも観れる様にしたりしてなぁ。」
「そりゃあすげえや!!」
「おれはぁ……そうだなぁ。今は、人間しか、人前で芸事ができねぇけども、それで貍は自分が貍だってバレねぇよぉに暮らしてっけども、いつか貍の猿楽師も認められて、胸張って人前で生きれるよぉに、なりてぇなぁ…。」
「貍だけでなくてよ、きっとその頃には狐も貂も妖も、なんなら異世界の鬼や絡繰だって一緒の舞台で芸やってんだ。」
「わははは!そりゃぁ良い時代だぁなぁ!」
生を持て余す貍の話など露知らず、其の頃都ではまた新たな猿楽が、祝われていた。