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僕は無敵

作者:日橋喩喜

母親を自分の手で殺すという考えは、思ったよりもすんなりと僕の心に馴染んだ。

僕は母親の財布から抜いた十八万円を握りしめ、昨日発売されたグリーンアップル社のタイムマシンポータブルをダメ元で購入に行った。家に帰り、母親のわめき声を無視て子供部屋に入る。勉強机について端末を見ると、自分の病気を治すために必要な手段だと画面に表示してあった。

自分の歴史を正し、もう一度やり直す。これこそ僕のやるべきことだ。僕は説明書も読まずにすぐさまタイムスリップのボタンを押した。

 今から戻れる限界の三十年前。つまり一九九六年だ。このころ僕は三十三歳、当時も働いていない。ふざけたほどにおなかを殴られ続けたような痛みに耐えて時空を超越すると、今よりも綺麗な我が家に到着した。畳間にカーペットを敷いて、パイン材のテーブルと椅子四つが佇む居間。机の上には無造作に置かれた卵形の育成ゲーム。画面をのぞき込むと墓のアイコンが出ている。ガラスの灰皿に残ったたばこから白く煙が昇っている。ブラウン管テレビをつけると、海の日制定のニュースが流れていた。

 エアコンの音がぐあんぐあん鳴って、耳障りだ。代わり映えのしない太陽光が斜めに入ってくる。テレビでは、懐かしいタレントがラブラブという言葉を取り上げて、街のカップルを小馬鹿にしていた。

 母親が居間にやってきたので、首を絞めた。自分の骨がきしみ、母の皮膚は同じくらいしわくちゃで、食い込んで同化するくらいに力を込める。

「さと子・・・・・・さと子ぉ!おまえが死ねばなあ!」

 僕は母親を下の名前で呼ぶ。よだれが垂れて、左右の目が別方向を向き始めたときに後頭部に衝撃があった。目にびりびりした神経の波が寄せて、じんわりとした頭の痛みは舌に鉄分の味を思い出させた。

 僕はつい手を離し、さと子は思いっきり酸素を吸ってむせていた。振り返ると、今は亡き父親の姿があった。

「誰だ、だれ、お前は。手を離せ!」

 自分よりも若い父親と争うのでは、腕っ節の面で分が悪い。

「置けよ、その灰皿を三津男!」

「なぜ、俺を知っている?」

「お前の息子だからだよ、三十年後の」

「愛流はお前なんかのようなやつじゃない」

「僕だよ、父さん。あいるだよ」

「息子の名を語るなあ!」

 三津男は灰皿を振り上げたが、よく見てみたようで、本当に愛流の面影を感じたらしく振り下ろさなかった。

「お前の言うことが本当だとして、なぜ殺す?」

 僕は右目をこすって、答えた。

「父さん、俺、病気なんだ。このままだと助からないらしい。いいだろ?お前もさんざん僕とさと子を殴ってきたじゃないか。僕がさと子の首を絞めるくらいかまわないだろう」

 すると、三津男は不思議なことを言った。

「俺はさと子を愛している!殺させはしない!」

 そう言って、必死になって息子だと主張する僕の体を殴り続けるのだ。不思議の感に打たれた。そうか、そういえば、三津男が二〇一九年に死ぬ際へ間に合わなかったさと子は、なぜかわんわん泣いていた。あれは、愛していたのか。

 僕が母親を殺すのにためらいが無かったのは、二人の間に明確な愛情を感じられなかったからかもしれない。そうすると、悪いやつになるのは僕じゃないか。僕は折れた右手で自分の白髪をすいて、息を切らして殴るのをやめた父を見た。意識の無い母の前に立ち塞がっている。ここから僕はどうすればいい?端末を見ると、愛するようにと書いてあった。

 そうして、僕はさと子に口づけをした。しわしわでかさかさ。粘ついた唾液は脳内に緑色を想起させる味だった。

 すると、自分の脳内の記憶が一度全て思い出せなくなり、次に父親が三十代の自分に積極的にお金をくれるシーン、それからさと子がおびえて僕を見る目つき。父親の死に目に母親が間に合い、最期にキスをするシーンを思い出した。しかし、記憶を探しても僕が結婚した記憶は無い。幸いにも病気の告知を受けた覚えはないが、多額の借金を抱えた記憶を思い出した。

 三津男とさと子があっけにとられている間にタイムマシンの現代に帰るアイコンをタップする。ふざけたほどにおなかを殴られ続けたような痛みに耐えて時空を超越すると、すぐに読まなかった説明書を見た。

歴史の流れに特に影響の無い方だけご購入できます。そう書いてあった。

そうか、過去はそんなに変えられないのか。変えられるのはこれから、今だけ。僕はその言葉を噛みしめると包丁を持って、学生の通学時間を狙って外に飛び出した。久しぶりの空はすがすがしかった。三十年前と変わらずに今日も太陽が輝いている。もう、思い残すことは無い。

僕は大通りにかけだし、その後家に帰ることは無かった。

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