野生の幼女があらわれた!
作者:如何屋サイと
「はい! 僕は今、新宿にある幻のホームに来ています!」
僕の声が無人の廃ホームに反響した。地下、ぬるい空気、まばらな照明。セルカ棒片手に実況を続ける。
「実はここ、オリンピック目前で取り壊されるそうなんです! 高校の友人情報ですが。ぐるっと一周しま、あっ」
棒の先にあるはずのスマホが宙を舞う。とっさにヘッスラ、何とかキャッチ。
「つ~」
肘に血がにじむ。まあ、落とすよりは良い。収録を切って立ち上がると、何もなかったはずの線路にSLが停まっていた。
信じられない光景だ。黒い機構、金の装飾。蒸気はない。旅客車の窓灯りが連なる。
SLに近づく。
窓を覗いた瞬間、誰かが窓から飛び降りてきて、僕らは絡んだイヤホンみたいに転がった。背中を打って上体を起こす。丸い瞳とバチリ。純和風の顔立ち。十歳くらいか?
彼女は僕の手を取って何か言う。言葉はフランス語のように聞こえた。幼女に支えられて起き上がる。よく見ると貧しい装いだ。一枚の布を羽織り、紐を腰で結んだだけ。髪の装飾は、動物の骨?
彼女は焦った感じで僕の手を引いた。SLとは反対側だ。
「何? つ!」
渋ったら噛まれた。わけがわからない。なんだこの幼女、野生かよ。
彼女に連れられて地下を出る。コクーンタワーの横に太陽が見えた。蜩の声がする。
僕の隣で彼女はへたり込んだ。言葉は聞き取れない。泣き出しそうな彼女に僕は何も出来なくて、友人にラインで助けを求めた。
既読がついてビデオ通話がくる。友人は女の子のアバターが愛くるしく動く。だが声は男だ。画面が反射するので僕らは木陰に移り、幼女と友人を対面させる。
幼女は疑問符をつぶやき、スマホを裏表にした。
『裏に俺はいないよ~』
友人は笑う。僕より先に二人が打ち解けてちょっと悔しい。僕らは単語を交わし、共通する言葉を見つけた。「くし」だ。骨じゃなかった。彼女の言葉は日本語だ。ここでおかしな想像が脳裏に浮かぶ。
雲が立ち込め、木の葉が鳴った。
友人はビデオ通話の画面を切り替えて、日本史の教科書を見せる。ページは縄文時代。
美少女アバターは口パクしているが、唐突に降り出した大雨で聞き取れない。雷も鳴り出した。
幼女は耳を両手で隠す。
泣き出しそうな彼女に、また僕は何も出来ない。
僕は友人が何を言いたいのか察していた。彼女が古代の装いってことじゃない。
彼女は過去からやってきたんじゃないか?
つまり、あのSLはタイムマシンだ。
じゃあどうしてSLから逃げ出したのか?
「どっちにしろ僕には何も……」
今度の雷は近くで鳴った。
幼女が僕にすがる。腕に伝わる震えが何とも言いがたい。空を睨むと雨がピタリと止んだ。もうすぐ夜が来る。
「これ君に預けるから」
スマホを渡す。これは動画にしなくていい。
新宿の地下へ行く。通路は淡い光で照らされて、昼とも夜ともつかない。ぬるい空気が季節感を失わせた。あのホームへ到着する。SLの傍らに車掌姿の青年がいた。
「や~」
声は友人のものだった。
「その声、おまえ誰だ?」
友人の偽物か。もちろん美少女アバターじゃない。
偽物は問い返す。
「なら、俺の顔を思い出せるか?」
「は? 何を言って……」
僕は友人の顔を思い出せなかった。
車掌は日本史の教科書を掲げる。
「俺はこの時代の管理人。真実を話そう」
僕は車掌に促され、SLに乗り込んだ。ボックス席で幼女が寝息を立てている。列車が動き出し、鼻にかかったアナウンスが聞こえる。
「ご乗車ありがとうございます。次は2643年」
すぐに車掌がやってくる。
「驚きました?」
「多少ね。予想より未来だった。それと敬語はやめてほしい」
青年は笑って、僕を幼女の隣に座らせた。
「なら次は絶対に驚くはずさ。ここはテラフォーミングされた月で、人類史の保管・展示を目的とした博物館。どう?」
「それは……。うん。さすがに驚いた」
青年は光栄そうに微笑む。
「この子は縄文時代に展示された複製人間だ。同僚のミスで来館者用の列車に乗せてしまった。幼い子ほど本能的に人の違いを察するからね」
「僕をここに呼んで、この子と出会わせたと」
新宿の地下に幻のホームがあると教えてくれたのは友人、改め青年車掌だった。
「ごめん。でも、おかげで助かった。代わりにどんな願いも聞くよ。ただ、君たち複製された人間の寿命は長くない。なるだけ早く叶えられる願いにしてくれ」
僕は自分の過去を振り返る。祖父母の田舎も三日前の夕飯も思い出せない。
「ここは月なんだよね?」
友人に願いを打ち明ける。彼は喜んでうなずき、目を覚ました彼女に、難しいことを省いて事情を説明する。彼女は白い歯を見せて笑った。
月面ターミナル駅には、2643年人が集まっていた。遠くでオルガンの音色が鳴っている。僕らは過去人として歓迎された。友人が僕の願いを明かすと、人々は僕らを嬉々と駅の外へ案内する。
月面の夜空を見上げると、青い星が浮かんでいた。