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来るべき時代

作者:犬狂い

 昼間。俺は喜び勇んでアパートに帰ってきた。大きな封筒片手に玄関をあける。

 すると玄関の向こうには薄暗い廊下が伸びていた。俺は少し緊張した。自分の部屋まで行くのに忍び足で廊下を渡る。

「おい」

 その男の声に、気分が重く沈む。

「帰ってきたなら、挨拶くらいしろ」

 男は偉そうに、固く閉ざされたリビングの扉向こうから声をかけてきた。

 横を通り過ぎて自分の部屋に行きたいのは山々だが、独特の煙たさに勢いよく扉を開けた。

「親父いつも言ってるだろ、煙草を吸うのもたいがいにしろって」

 俺は扉を開けるなり怒鳴った。

「自分の家でなにを吸おうが勝手だろうが」

 すねた子供のように言って、こちらから視線を外す。その態度が気に入らない。

 大人ならもっと言いようだってあるだろうに。親父はいつも言葉足らずだ。

 そこがますます俺をイライラとさせる。

 安物の空気清浄機が音を立てて、親父の吐き出した煙を吸う。

 こんな密閉されたところで、と思う。すぐに清浄機のフィルターが馬鹿になるぞ。

「せめて、草吸えよ」

 俺は怒りを込めて言った。

「ふん。大麻なんて吸ったら馬鹿になる」

 これだ。

 親父は古い人間だ。いまだに煙草を吸うような人間なのだ。

「大麻は企業に認められてるけど、煙草は取り締まりが年々厳しくなってる。そんなことも知らないのか」

「知っているよ。ところでお前の持っているその封筒はなんだ」

「話をすり替えるなよ!」

 親父が椅子から立ち上がり、こちらにやってくる。

 俺は咄嗟に警戒した。

「おい。それはなんだ」

「あっ」

 親父が俺の手から封筒を奪い取る。

「これは……おい、就職したのか」

 親父は俺の手から奪い取った封筒を乱暴に開いて、愕然としたようだ。

「これは企業か?」

「そうだよ、六菱だ。六菱に就職した、企業だよ」

「人殺し集団が」

 その言葉で俺は親父をにらんだ。

 それと同じだけこちらをにらんで親父は言った。

「どれだけ払った?」

「二万……クレジットだよ」

 俺は思わず言葉に詰まった。

「就職に金を使うなとあれほど言ったよな?」

 親父は、俺の大切な採用通知がくしゃくしゃになるほど手を握りしめて詰問してくる。

「裏口就職が当たり前とは世も末だな」

「なんだと!?」

 カチンと来た。

「仕事というのは金をもらうことだ。報酬をもらえ。それが嫌なら子供が企業勤めなどするな!」

「そんなの昔の話だろ! 俺は社会人で、親父は無職だ!」

 俺は叫んだ。日頃の鬱憤が口をついて出たようだった。

「いまは企業に金を払って就職するのが当たり前なんだ!」

「だったら就職なんてするな。なんの茶番だ」

「うるさい! あんたにはわからないかもしれないけど、就職できないやつは周りのやつらから後ろ指さされるんだ!」

「オマエのいう周りのやつらってのはどこのどいつだ。どうせ、クズだろうがな」

「~~っ!」

 俺は親父に殴りかかった。

 そして返り討ちにされた。

 

 自室に戻るとベッドにぽんと体を投げた。スプリングが強くたわみ、きしんだ。

 親父に殴られたあと、床に捨てられた書類をかき集めた。

 腸が煮えくり返って、悔し涙が出る。

 ついベッドわきの窓外を見た。外は当たり前のように暗い。さっとカーテンを閉めた。

「…………」

 どうして殴られなくちゃいけない。思い返してみても理不尽だ。

 報告を。ただ報告したかっただけなんだ。ちゃんと折を見て話すはずだったんだ。

 だけどあんなことになって。

 駄目だ。もやもやが頭と胸を支配する。

 俺は気分転換に本棚から宮部みゆきの『火車』の電子カードを取り出した。そして首筋のカードスロットに差し込む。

 タイトルが電子網膜に表示され、本の情報体が直接脳内ニューロンに注ぎ込まれる。

 決していい気分ではないが、不思議な高揚感を感じる。そして最後は決まって最高の高揚感をブツりと断ち切られる。これが逆にスッキリするのだ。

 この書籍を最初友人に勧められたときそんな古臭い本と思ったものだが、試しに挿入してみてよかった。

 いまでは愛読書のひとつだ。気分が沈んだときによく挿入している。

「親父も煙草なんてやめて、こっちにすりゃいいのに……」

 やめよう。わざわざあいつのことを思い出して、気分を害する必要はない。

「それよりも……」

 封筒からくしゃくしゃになった採用通知を取り出す。

 企業名は六菱。これを低額で手に入れられたのは幸いだった。

「……っ!」

 ゴゴゴッ。

 突然、窓の外から低い地鳴りのような音が聞こえてきた。あわててカーテンと窓を開け放つ。

 見ると周りの住民も一斉に窓を開けていた。

「無人機がっ……住宅街を!」

 誰かが叫んだ。みんな口々に驚きの言葉と不安そうな表情を浮かべる。

 住宅街の上、居住天井すれすれのごく低空を二脚無人機がバーニアを噴かせて飛んでいく。三機編隊で西の天井へ向かって行った。

「関西の企業へ攻撃を仕掛けるのか」

 またどこかの誰かが言った。

「あの無人機! ほらあのロゴ……六菱社製?」

 ドキリとした。

 違う。俺が採用されたのは戦争とは関係ない後方部署だ。

 俺は採用通知をくしゃと握りしめた。

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