新時代の恋
作者名:書三代ガクト
高校指定のカバンをベッドに投げ出し、パソコンを立ち上げる。動画投稿サイトの通知から配信画面へと飛んだ。開始まで二分という文字。そして六十七人が待機をしていた。私は制服のスカートを押さえて、パソコンデスクに腰掛ける。開始時間へのカウントダウンに胸を弾ませながら、チャンネルのアイコンを眺めた。黒光りする頭にギラリと輝く黄色い目。にやりと笑った表情は人型でありながら、人間のそれとはかけ離れていた。
笑顔の隣には”宇多川宙人(ウタガワソラト)チャンネル”とある。宇田川宙人という配信主が雑談をメインに活動しているチャンネルだ。
「はいー、はじまりましたかね」
イヤフォンの声に、私は顔を上げる。画面の中心に宙人がいた。コメントが一斉に流れ、彼の目が三日月を描く。
少し低めの声、なめらかな挨拶に私は目を閉じた。じんと耳に届き、広がる。ほろりとほどけて頭の中にぱぁっと溶けていった。
やっぱり、好きだな。
うっとりと惚けてしまう声。部活で疲れた体が癒やされていく。
「”そういえば、書見代(ショミダイ)さん、炎上してましたね”へぇー、あの小説系の?」
彼はコメントを読むとき、少しだけ口調がゆっくりになる。私が目を開けると、続報が画面に流れていた。
いわく、バーチャルユーチューバーである書見代は嘘をついていたと。書店員といいながら魂はただの会社員だったと。それでファンが怒り、炎上したと。
宙人は画面の向こうでふーんと目を細める。少しだけ視線を外して、首を傾げた。
「ゆーて、私はユーチューバーだからよく分からないね」
いつもの答えにコメントのスピードが上がる。〝バーチャルユーチューバーじゃん〟〝ユーチューバー?〟〝ブイの者が何を言う〟。宙人は左右に首を振って応えた。
平成に花開き、令和で大人気になったブイチューバー。新時代のメディアとして数が増えており、この宙人も宇宙人系ブイチューバーとしてランキングに名を連ねていた。本人は否定しているものの、「バーチャル世界で活動するユーチューバーだからでは?」とファンの中で意見が固まっていた。
宙人はいつものトーンに戻り、コメントと談笑をする。軽く、けれどしっとりとした配信。彼の笑い声に合わせて私の頬も緩む。
私は人差し指を伸ばして、画面に触れた。ノートパソコンの液晶が軽くへこむ。指先から静かに色が流れ込んだ。宙人と同じ漆黒。深くなめらかな線は手の甲を伝い、腕を辿っていく。肩に届き、広がった。彼に抱きしめられているような柔らかい錯覚に、私は体をゆだねる。
「これはきっとガチ恋、なのかな」
独りごちてから小さく首を振った。コメントも全くしない私が何を言っているのだろうと、恥ずかしさと自嘲が重なる。
それでもこの心地よさだけは本物だと思いたい。私は椅子に足を乗せ、膝を抱える。そして画面の彼と一緒に笑った。
高校指定のカバンをベッドに投げ出し、パソコンを立ち上げる。動画投稿サイトの通知から配信画面へと飛ぶ。開始まで二分という文字。けれど待機している人数は一人となっていた。それに対し、多くのコメントが書き込まれている。〝だまされた〟〝嘘つき〟〝怖い〟燃え上がるような激しいコメントに私は息を飲む。慌ててスマホを取った。
百四十文字が集まるタイムラインを開くと、配信画面以上に騒がしくなっていた。私はスマホを両手で持ち、話題を追っていく。
なんでも、宇宙人のブイチューバーだと思われていた宙人はユーチューバーだったと。昼の配信時、母親と思われる人物が映り、彼女も同じ姿をしていたと。そこから彼はイラストを介していないことが分かったと。本当の宇宙人だったと。
そして配信画面と同じような感想が続いていた。私の息が荒くなる。検索バナーに彼の名前を打ち込んで、公式アカウントに移動した。
大きな変化はない。ただ固定表示されている自己紹介呟きのリプライ数だけが増えていた。恐る恐る、触れる。途端に怒りや悲しみが広がった。
人差し指から赤が勢いよく上ってくる。激しい色は一気に全身を巡り、顔に迫った。私は慌てて端末を投げ出す。
荒い息のまま、パソコンに向き直った。画面下の文字だけが更新される”宇田川宙人を待ってます”と現れた。
嘘をついたブイチューバー、本当のことを言っていたユーチューバー。腕を伝った赤、待機の数に私の目がうるんだ。
「彼は本当のことしか言ってないじゃん」
本当も嘘も曖昧にゆがんでいく。黒と赤が混ざり合い、涙があふれた。彼の配信会場が、チャンネルがかすんでいく。
私は彼のいない画面に触れた。液晶がわずかにへこむ。けれど何も流れてこない。それでも私は彼のチャンネルから手を離さない。
私は待っている。そんな思いだけは伝わってほしいと、祈りながら。