白き尾を立てて
作者:我有一徹
時折、我々が目を細めて思考している姿をご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
あれは、干支について考えているときの顔です。
というのも、我々ネコは干支の成立において、はなはだ不名誉な歴史を持っており、それを不本意ながら先祖から継承しているのです。
皆さんがご存知のお話は、多くの睡眠を友とすることによって、干支を決める時間に遅れると言った話だと思います。
決して、ネズミごときに唆されたわけではありません。
これは、我々に伝えられた話とは、幾分異なる点があります。
実は、干支の並び順は、人間からの逃げ足の速さで決まっているのです。
臆病なネズミが一番なのは納得でしょう。
牛は、人間に働かされるのが嫌で早々に逃げたからこの順位なのです。
虎や辰は、そもそも人間が嫌いです。
兎は耳が良いのでなんとなく逃げているだけです。
蛇はネズミや兎を食べようとしているだけで何も考えておりません。
逆に、馬や羊は人間に嫌われたくないという気持ちもあり、この順位なのです。
猿や鳥に至っては人間を舐めきっており、犬はバカなので農具を持った人間から逃げませんでした。
猪においては、人間の後ろにある畑しか目に入っていなかったのです。
では、我々ネコはというと、実はネズミよりも逃げ足が速かったのです。
当時のレースに参加したネコは、このような不名誉を競うことに意味を見出せないとして、一位から辞退したのでした。
よって、ネコは干支にカウントされていないのです。
最近になって動物界にも、この干支に架空の動物がいることに不合理を唱える者も現れました。
我々ネコは、その架空の動物である辰に成り代わることを日々模索しているのです。
申し遅れました。
わたくし、野良ネコのタマ・ムギ・マサ・ホセ・白夜叉尾と申します。
学生街で餌をもらい、雨風をしのぎながら生きております。
今は、昼食後の散歩タイムで、前々から考えていたことを実行しようと近所の神社へ向かっています。
石でできた苔むした階段をゆったりと登っていくと、鼻先をぶつけそうになったので、不本意ながら身体をバネにして駆け上がっておきます。人間の階段は、我々ネコには大変登りづらいと好評ですからね。ユニバーサルデザインという考えが生まれる前の施設ですから文句は言いませんよ。
さて、わたくしがここへ来たのは他でもありません。鳥居をくぐった先の手水舎にいる、辰を破壊するためです。
辰を倒し、全国にいるネコたちに向けて、架空生物追放運動の狼煙とするわけですね。
わたくしが、乗用車のボンネットほどの高さにある手水舎の水盤へ飛び乗ると、縁の向こう側に酒を飲み過ぎた学生のように水を吐き出す辰の像がありました。
縁をぐるっと回って辰の傍によると、すかさず右フックを辰の後頭部へたたき込んだわけです。
肉球に残る金属の感触に長期戦を覚悟したとき、手水舎の屋根に雨粒がぼたぼたと落ちてきました。
辺りを見回すと土砂降りの有様で、手水舎に閉じこめられたような気分になって、雨がやむまで辰に集中できると思い直したときでした。
「おい、クソネコ。なにしやがる?」
わたくしは顔の横で聞こえた物音に驚き、手水舎の屋根に頭をぶつけるくらいに飛び上がって、水盤へ落ちました。心臓が止まりそうになりながら水盤の縁へ戻り、声の主を確認すると、辰の像がこちらを睨んでいるのです。
わたくしは、身体を振って水滴を払うと言い返しました。
「我々ネコは、干支に架空の動物を掲げていることへ不満を持っております。辰は不要であり、猫を入れるべきです。あなた方の存在は事実に沿っていません」
「ほう、一理あるな。いいだろう。干支の座を譲ってやる」
「ネコ並に理解力があって助かります」
わたくしは失礼にならないよう、顔を洗いながら丁寧に謝意を述べました。
「ただし、俺たちが今のお前たちのような自由を手に入れても良いということになる」
「それはどういう意味ですか?」
わたくしは顔洗いを止めて、細めた目で辰を見つめました。
「毎日気ままに大雨を降らせ、山を崩し、川を溢れさせてもいいということだ。ちょうど人間を減らしたいと思っていた」
わたくしは辰の言葉を聞いて、黒い身体で唯一白い尾を水盤にペタペタと打ち、耳を立てたまま不快にならざるを得ませんでした。
「それは困ります」
「なぜだ?」
「人間は、我々ネコを飼ったり捨てたりと迷惑な存在ですが、寄って寝ころぶべき存在でもあるのです」
「ふむ、干支になればそんな心配もいらぬ。それに年賀状で活躍できるぞ」
「古いですね。我々はすでに動画投稿サイトやSNSで再生数やいいねを量産する超看板動物です。年賀状など羨ましくありません」
「ど、ドウガ? えすえぬ? まぁ、それなら干支になる必要はないだろう」
わたくしも同じ結論に至っていました。
「そうですね。干支は諦めてあげましょう」
それきり辰は黙り、雨は止みました。
わたくしは、神社から出て馴染みの学生の所へ行きたくなったので、ここで失礼いたします。